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2025/06/17(Tue)18:19
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2008/10/14(Tue)13:39
深夜のF1中継を録画すらしなくなって久しいが、一昨日は久し振りにF1日本GPのテレビ中継を観た。
F1観戦は、そういえば去年の、あの水煙の中のクラッシュ大会以来だろう。
今年の決勝はかろうじて雨を免れたようで、そのレース展開も面白く「良いグランプリ」だったのではないだろうか。
また去年大問題になった「帰り客の混乱」もなく、このあたり「今度こそ」と威信をかけたトヨタの面目躍如といったトコロだろう。
個人的には、「自動車のレース観戦からマイカー締め出してどうすんの」という意見は変わらない。
富士あたりまで電車を乗り継いで行ってられるかよ、という以前に、混もうが渋滞しようがマイカーで行って、帰りは近隣を散策しながらというのが日本式レジャーの定番であって、見知らぬ他人とシャトルバスに相乗りなんて考えられないのである。
じゃあ、オマエ、来年の鈴鹿には行くんだな?
と聞かれれば、それも正直定かではないのだが、少なくとも「状況次第」であることは確かだ。
富士みたいに「ありえねーハナシ」ではないのである。
そもそもF1を観なくなった理由の1つに、「ホンダが勝てない」というのがある。
レギュレーションが「勝てなくしてしまった」のだ。
しかしそれは、エンジン開発に「のみ」邁進するチーム姿勢への批判であり、F1がドライバーの技量の優劣を決するレースである本来の趣旨に照らせば、至極当然のコトと言える。
ただそれは、昔っからシャシー開発が不得手なホンダに不利で、タイヤに優しいシャシー開発が身上のフェラーリに有利なレギュレーションとも取れる。
じゃあ、エンジンもシャシーもイコールコンディション、つまりワンメイクにでもすればいいのかというと、それではインディカーのようにメーカーサイドが盛り上がらず、つまりスポンサー的な要素が失われ「流行らない」のである。
高騰し続ける開発費抑制の為、ついにF1はテクニカルな開発を凍結する方向のようだが、技術開発を否定した自動車レースなど「やる意味が無い」。
いじるトコロが空力ぐらいしかなく、ボディから無数の羽根が生え続ける今のF1は、はっきり言って自動車の姿としては奇形だ。
ほっとけばトップスピードがたちまち400キロを超えて、ドライバーが恒常的に生命の危険に晒されるようになる。
それもまた真理なのだろうが、主催団体がヨーロッパ本拠地ならルールもヨーロッパ寄りになるのは避けられず、そんなアウェイの競技に無理して参加せずともと思うが、最近ではオイルマネーが開催地あたりから台頭してきている。
もしかして彼らが主導権を握ったら、「砂漠で何キロ出るか」みたいなレースに様変わりするかも知れない。
いずれにしても、化石燃料を内燃機関で燃やして走る「レース」は、この先10年がいいトコロではないだろうか。
じきF1も電気の時代が来るだろう。
そうなっても残るのは「ドライバー」。
今年は中嶋悟の息子のほか、「ネルソン・ピケJr.」という名前が印象に残った。
また世襲か!
という声が聞こえて来そうだが、レースの世界は「運と実力とカネ次第」と言われる。
並みのレーサーには「実力」が無く、そんな中で光る実力の持ち主でも「カネ」が備わる場合は稀。
その「カネ」にしたって、あるクラス以上を目指すなら自己資金ではなく「スポンサーからの潤沢な資金供給」が必要であって、なかなかそんな太いタニマチに恵まれるレーサーは居ない。
それらに恵まれて、それでも最後は「運次第」というのだから、「カネ」の部分で大きくアドバンテージのある「二世」が、台頭するのも自然の成り行きなのだろうが、なんだか自民党政権を見ているようで、閉塞感に気分が悪くなる。
やっぱり、F1の人気が低迷するのって、構造的な問題なんだろう。
万人に敷居の低いインディカー。
ホンダさんにはそっちで、頑張って貰いたい。
ズバリ「鈴鹿でインディ」なんてどうなんだろうか。
あ、「インディとF1の対比」は社内的にNGなんだと、ホンダの広報さん言ってたっけ。
そのタブーを打破るコトこそが、打開策だと思うんだけどなぁ。
ともかく、いろいろ考えるトコロはあるにせよ、全体としては「良いグランプリ」だったと思う。
そんな、F1日本GPだった。
No.543|FP|Comment(0)|Trackback()
2008/10/12(Sun)17:23
三浦和義という男性の話。
「ロス疑惑」、「疑惑の銃弾」と騒がれて、この男性がメディアに盛んに露出していたのは1985年頃のこと。
もう30年も前のことになる。
30年も前のことであるから、当然ワタシは鼻水を垂らしたガキであって、何が「ロス疑惑」なのか、テレビは何をそんなに騒いでいるのか、その何たるかがさっぱり分からなかった。
ハナシを要約すると、1981年に渡航先のロサンゼルスで奥さんが銃撃され、死亡した。
この事件が、「保険金詐欺なんぢゃね?」という報道が「ロス疑惑」であり、最初に報道した文春の記事タイトルが「疑惑の銃弾」というコトになるらしい。
なんでも「三浦和義」という男性がタレント事務所の所属でもあって、子役として活動していた時期もあったというコト、カメラを向けられると殊更雄弁に語り、それがマスコミの晒し報道にうってつけだったというコトが、事件をココまで有名にした所以であると思われる。
その後日本で逮捕され、関連事件であるいわゆる「殴打事件」では有罪となったが、本題の「ロス疑惑」では無罪となった。
そのあたりまでは微かに記憶がある。
久しぶりに名前を聞いたのが2007年の万引事件。
故人には失礼だが、往年の「あの胡散臭い風体」で棚から商品を盗む防犯カメラ映像が全国中継され、一躍世間の注目を集めた。
1985年当時、妻の死亡保険金として1億5千万もの大金を手に入れ、「現在は会社を経営」と名乗っているにはあまりに惨めで、そして落ちぶれた様子。
これが格好のエサとなって、この小額の窃盗事件は何度も報じられ、図らずも三浦氏自身のメディア露出が繰り返された。
これに味を占めたのだろうか、翌年である今年2月に、あろうことかアメリカ自治領であるサイパン島へ渡航。
例の「ロス疑惑」の容疑であえなく逮捕され、一事不再理だ何だと散々揉めたが、先日結局アメリカ・ロサンゼルスへ移送。
ソコで「共謀罪」なんてので審理されるという矢先に、獄中で自殺してしまったというのだ。
この、「拘留中に自殺」という一報には、しこたま驚いた。
あれだけなんだかんだと理屈を並べて徹底抗戦の構えだった氏が、事件にあっさり「自殺」という幕引きをしてしまったのである。
事件後、サイパン島がアメリカの自治領であって、身柄を拘束される可能性があるというのを承知かどうかは知らないが、少なくとも「アメリカ本国」への入国は避けていたという氏。
ストレートに考えれば、アメリカの、しかも事件のあったロサンゼルスまで連れてこられたというコトは、即ち「一巻の終わり」であって「ゲーム・セット」。
もう腹を括るしかないという発作的で短絡的な行動に思われる。
ところがどうして、その「死」の波紋はあまりに大きく、「身柄を拘束した当局の対応」のみならず、「日本で一度審理を行なった事件を蒸し返し、わざわざ身柄を移送した件」と「そうするまでの証拠とは一体何だったのか」まで疑問が及ぶのである。
それがどれくらい大きいかというと、こんな縁も所縁もない野良犬のブログで、わざわざ記事として取り上げられるほどなのである。
むかし奥さんの不審な死で大金を手に入れた「怪しいヒト」は、今やすっかり「被害者」になったのである。
これほどまでに計算されて、かつ最大の効果を齎す「死」というものも、近年珍しいのではないだろうか。
コトの発端は保険金詐欺の嫌疑。
その真相は分からないが、状況的に不自然な部分が多く、有罪を確信する捜査担当者が居て、結果多額の保険金を本人は受け取っている。
その、三十数年前の1億5千万で、逮捕もされ、裁判裁判の日々。
その裁判経験から複数の著作もあるらしいが、結局最後の最期まで、その「疑い」に付き纏われたものだった。
もし仮に、疑われている通りの保険金詐欺を企てていたとして、果たしてその計画は成功だったのだろうか。
三十数年前当時に1億あれば、まあ何がしかの「事業」的なことは興せるだろう。
逆に何もしなくても、まあ数年は面白おかしく暮らすことも出来る。
でもそんな生活を見ていて、「三浦和義は怪しい」と言われてしまった。
そして、あろうことか週刊誌の記事になってしまった。
もうこの時点で、計画の8割方は「失敗」であろう。
実際長期に渡り収監もされている。
メディア露出で知名度を上げ、著作を出版するのは二次的なもの、当初想定していない状況からの「苦肉の策」と考えていい。
そして60を過ぎた今になって、改めて手錠に腰紐。
30年前の話を蒸し返され、挙句ロスへ移送。
法律に基づいたものかはともかく、社会的な「制裁」というものは十二分に受けたとは言えないだろうか。
それでも、「罪を償っていない」と言われる。
担当捜査官の、私怨とも取れる執拗な追求に晒される。
少なくとも、これで成功とはとても言えない。
誰が見たって「失敗」である。
そんなワケで、コトの真偽はともかくとして、日本国籍を有する男性が、アメリカ自治領で身柄を拘束され、本国に移送されて、そして獄死してしまった。
第一日本では、とうに「無罪」とした事件である。
国として黙っているワケにはいかないだろう。
何とも影響力のある死に方をした。
そういう意味で、この三浦和義という男性のセルフプロデュース力を、感じずには居られないのである。
もしかしたら、この人も「自分を客観的に見る」ことが出来たのかもしれない。
色々と考えさせられる、一連の騒動だった。
でも、周囲の警告を無視して、何で今さらアメリカ自治領であるサイパン島に行ったのだろうか。
もしかしたらそれが、還暦を迎えた彼の「贖罪」だったのだろうか。
No.542|FP|Comment(0)|Trackback()
2008/10/10(Fri)10:03
UFOキャッチャーからサルベージしたピラニア・ナッテリーの飼育を始めて、5ヶ月となった。
もう立派な家族の一員である。
そして、もう立派な「ピラニアさん」である。
是非、サルベージした直後と見比べてみてほしい。
あんなんが、こんなんになっちゃうのである。
このテの魚はよく、「子犬みたいな性格」と言われる。
ウチのナッテリーさんもその通り、基本臆病な性格ではあるが、腹が減ると水槽前面に出てきてアピールするし、台所に立ち上がるとかなりの期待を示す。
こういうのが、「飼い込む醍醐味」というヤツなんだろう。
ちなみに、先日照明も装備された。
たまたま立ち寄った柏のペット屋で、1500円で売られていたのを衝動買いしたのだ。
ナッテリーさんも最初は迷惑そうだったが、1週間ほどで慣れてくれた。
これにより、水草が元気になった気がする。
ちなみに、照明はタイマーで管理されている。w
あと、掃除担当の「石巻貝」があまりにもバタバタ倒れるので、ジャイアントイエロースネールなるものを入れてみたのだが、これがナッテリーに触覚をかじられて瀕死の重傷。
なので急遽、「フネアマガイ」なるものを2コ投入してみた。
コイツも早速、ナッテリーさんに啄ばまれていたのだが、その形状から魚の攻撃には強いらしい。
強いのはいいのだが、これがほとんど動かない。○| ̄|_
「仕事」をしないのである。
「消耗品」と諦めて石巻貝を使うか、また別の貝を探すか、ココが悩み処である。
ちなみに、小さい方の水槽に「コリドラス・パンダ」が仲間入りした。
「フネアマガイ」と一緒に買って来た(1匹380円)のだが、これで小さい水槽はベタ2匹(♂・♀)、テトラ4匹、メダカ(エサ用からの生き残り)3匹、ジャイアントイエロー1コにコリドラス1匹とかなり賑やかになった。
「これ以上は」と自制しつつも、買ってしまうのが「性」というもんだろう。
水槽がこれ以上増えないように、これからも「忍」の一字で行こうと思う。
それに比べてピラニア水槽の寂しそうなコトと言ったら・・・
でも、ナニ買ってきても食っちゃうナッテリーさんが悪いのである。
そう思うコトにしよう。
No.541|FP|Comment(0)|Trackback()
2008/10/09(Thu)18:39
気にはなっているのだけれど、なかなか実行に移せないコトって結構多い。
そんな日常のモヤモヤを、一気に片付けちまおうと思い立った「きっかけ」のハナシ。
それは、今朝届いたメールにあった。
《重要なお知らせ》Yahoo!プレミアム、会員費の改定と会員特典の更なる充実についてもう、本文を読まなくても内容は分かる。
No.540|FP|Comment(0)|Trackback()
2008/10/04(Sat)18:51
若者を中心に苦味のあるビールを敬遠する向きもあるというが、「ビールは飲みますか?」と問われれば、「はい。ほぼ毎日」と答えるだろう。
「晩酌の一杯目はビール」の人間である。
ただ、続けて「発泡酒は飲みますか?」「新ジャンルと呼ばれる第3のビールは?」と問われれば、「ほぼ毎日のように飲んでいるのは新ジャンル」であることに気付く。
「晩酌の一杯目は新ジャンル」だったのである。
酒税の隙間をついた「発泡酒」の登場は画期的だった。
当初「ビールとは違う」「美味くない」などと評判はそれほど良くはなかったが、毎日のことだけにその価格差は大きく、ついには出荷量で上回るまでになった。
そして税制の変更。
せっかくの税法によるメリットが薄れては、わざわざ「発泡酒」を買う意味合いも薄れる。
そこで登場したのが「新ジャンル」と呼ばれる「第3のビール」だ。
酒税でいうトコロの「リキュール類」という分類らしい。
この「新ジャンル」は当初大豆を主原料としたものだったが、後に麦を主原料とするものも発売され、今は2種類の原材料のものが売られているらしい。
たしかに、発売当初の「新ジャンル」は醸造アルコールっぽさが残り、特に2杯目以降でその傾向が強かった。
それが今では、さほどの気にならないレベルになっている。
それが「進化」というものなのだろう。
そんなワケで、今回送られてきたのはそんな「新ジャンル」のなかでも「麦が主原料」のクリアアサヒ。
2008年3月の発売以来、350ml缶換算で早くも3億本が出荷されたというコトで、「改めて飲んでみろ」というコトらしい。
早速1杯。
「クリア」と冠されるだけあって、後味がスッキリしている。
「ビール」が「ビール」らしくある為に、「芳醇」という味わい重視の路線に向かっているのに対して、とても好対照だ。
夏場の「スッキリ路線」から、秋は「芳醇な味わい路線」に。
これも最近では毎年のことではあるが、「スッキリ」は「スッキリ」で残ってもイイと思う。
全部が全部、「芳醇」になる必要なんてないのだ。
アルコール分を抑えたもの、反対に多く含むもの、それにフルーティーな味わいのものと、「新ジャンル」にも様々なタイプが出てきたが、やっぱり王道は「麦本来の味」だと思う。
それを再認識したトコロで、気分が良くなってきたので今日はココまで。
No.539|FP|Comment(0)|Trackback()
2008/10/01(Wed)08:58
東京タワーへやってきた。
「バカほど高い所に・・・」とはよく言われるが、今日はこのタワーへは登らない。
登らずに、「フットタウン」と呼ばれる施設の1階。
そう、「東京タワー水族館」が今日の目的地である。
この水族館、正直メジャーではない。
おそらく、一般のヒトは東京タワーの根っこに水族館があることすら、知らないのではないだろうか。
しかし、である。
ある一部のマニアに、この水族館は有名である。
その「マニア」とは・・・、
そう、ピラニアだ。w
ピラニア飼育者のブログを見ていると、ことごとくココの話が出てくる。
「ココには、月に一度は行くことに決めている」とか、「気分が沈んだ時には必ず訪れる」とかいうハナシがほとんどだ。
そんなにスゴいのだろうか。
それを確認しに行った。
いや、「一度は行ってみたかった」というのが正確だろうか。
入口は、正直たいしたコトない。
その、たった千円の入館料すら、高く感じるほどだ。
それがどうだろう。
バカでかいナマズみたいなののオンパレードで、ホントは最後にもう一度ピラニアを見てから帰ろうと思っていたのだが、それを断念するくらいの充実感。
いや、「疲れる」くらいの展示量なのである。
なので最後の、鯉を鑑賞する日本庭園風のイスが、非常に有り難く感じられた。
それくらい、熱帯魚づくしの館内。
時々、展示品に値札が付いているのが笑いを誘う。
水族館なんだか熱帯魚ショップなんだか分からないのである。
そして肝心の「ピラニア」は、というと・・・、
確かに「ご立派」である。w
居合わせたどっかのジャリも、大興奮である。w
そんなワケで、「ピラニアマニアの登竜門」をくぐった今回の東京タワー。
なかなかの満足度だったのだが、帰ってきてウチのナッテリーもまんざらでもないな、と、そんな変な自信もついた一日だった。
な、ナッテリーさん!?
No.538|FP|Comment(0)|Trackback()
2008/09/30(Tue)07:49
今日は、全て憶測で書かせてもらう。
大臣就任と同時に問題発言を繰り返し、ついにたったの5日で辞任した、中山成彬氏についてのことだ。
就任したのは、「国土交通大臣」である。
小渕優子みたいな特命担当なんちゃって大臣ではなく、監督する省庁もちゃんとあるれっきとした「大臣」。
道路特定財源では火だるまになったが、事故米に揺れる農水大臣に比べても、今時期なら「ぬるい」ポジション。
なのに何で、意図的に職を追われるような妄言を繰り返したのであろうか。
ここで一つ、「中山成彬は、文科大臣になりたかったのではないか」という仮説を立ててみることにする。
彼は小泉政権時代に、文部科学大臣の経験がある。
「ゆとり」の弊害を認め、教育の路線変更をしたことなどが主な功績だそうだ。
それは非常に評価されるべきだと思う。
だから、嫁が「拉致の中山」なら自分は「教育の中山」。
そう自ら思いもし、また周囲にもそう言っていたのではないだろうか。
(知らないけど。)
となると、ソコへ「国土交通大臣」のお達しはあまりに不服。
これまでの政治活動全てを否定されているかのような、そんな屈辱的なものだったに違いない。
しかしながら、「大臣職を辞退」というのも、世間に麻生太郎との不仲、反目を露呈するかのようで、民主党への対抗と団結を重んじる党内の空気的にも難しい。
まして、派閥の領袖である森喜朗が「我が町村派からも大臣ポストを」とごり押しして得た椅子ともなれば尚更だ。
不承不承とはこのコトだろう。
対して、任命権者である麻生太郎の側から眺めてみる。
7年越しでようやく手にした総裁の座。
そう簡単には放したくない。
しかし大嫌いな古賀誠が、勝手に解散総選挙のシナリオを作り、故意にマスコミにリークして空気を作っている。
解散すれば、下手すれば過半数割れ。
ソコへ「クリスチャン麻生」を嫌気した公明党が寝返り、政権を奪われようものなら、引責辞任は免れられない。
そんな中での組閣。
そこへ来て、「あの」森喜朗からの圧力。
解散を勝手に決められ、大臣人事までままならなくて、何の総理大臣なんだろうか。
エエとこの坊っちゃんである太郎くんが、そう思わないワケがないのである。
ならば、どうするか。
それが、本人の意図しないポストを敢えて割り振る「へそ曲がり人事」だったのではないだろうか。
それが証拠に、「石破さんの農水大臣」に「アレ!?」という違和感を持ったヒトは少なくないハズなのである。
総裁選中は「安保のスペシャリスト」なんて肩書きでメディアに露出し、かの「ゴジラ発言」でも有名な氏が、なんで農水大臣なんだろうか。
つまりそれぞれが、派閥への配慮だけで割り振られた、当人にとっては不本意な人事。
麻生としてみれば、それで諸先輩方への配慮だけは「果たした」と言い切れる、ただそれだけの布陣。
それが分かってしまえば、真面目に国土交通大臣の職責を全うし、麻生内閣に貢献、なんてちゃんちゃらバカらしくなってしまう。
その対抗策として、「問題発言を繰り返し辞任に追い込まれる」は、なんとも狡猾なやり方ではないだろうか。
そういう意味で、中山氏は「確信的に発言した」と言っているのではないか。
そして麻生氏が自認する「任命責任」とは、「中山成彬を大臣にしたこと」ではなくて、「文科大臣ではなく、国土交通大臣にしたこと」ではないだろうか。
そう考えると、周りに敵だらけの麻生太郎がとても可哀相に思えて来るが、四面楚歌は裏を返せば「人望が無い」というコト。
じゃなきゃ、ココまで足を引っ張られませんぜ、と思いながら、中山氏が希望する「これが日本の教育を考えるきっかけになってくれれば」という流れにはどうしてもならない、それだけが妙におかしかったりする。
そんな妄想だった。
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